効率がいいことは、たしかに正義。
予定を詰め込み、移動は最短、買い物はまとめて、会話は要点だけ。
無駄を削るほど賢く見えるし、実際、忙しい時代にはかなり役に立っていました。
でも最近、その「正しさ」に少し息苦しさを感じる人が増えているのだそうで、早く終わらせることはできても、満たされるわけではないですし、便利にはなったのに、心はなぜか休まらない。そんな違和感があるようです。
今、価値の軸が静かにずれている。
何かを短時間で終えることより、そこにどれだけ余白があるか。
いくつこなせたかより、どんな体験が残ったか。
この変化は、たんに気分の問題ではなく、生き方そのものの再設計に近くなっています。
たとえば、休日、午前中に家事を終え、午後は予定を2件入れ、夜は動画を倍速で見る。
たしかに効率はいいのですが、1日が終わったあとに「今日、何を味わっただろう」と少し空っぽになることはないでしょうか?
逆に、あえて予定を1つ減らした日。
カフェでぼんやりする時間が生まれ、道端の花に目を向けたり、誰かとの会話がいつもより少し長く続いたり。
こういう時間は、成果としては見えにくいのですが、記憶には妙に残ったりして。
人はどうやら、処理した量より、感じた深さで日々を覚えているようですよ。
「余白のある生活」が支持されるのは、怠けたいからではありません。
むしろ逆で、きっちり回しすぎた生活が、私たちから感受性を奪ってきたから。
- 空白があるから、気づける
- 間があるから、選び直せる
余裕があるから、人にも自分にも少し優しくなれるのではないでしょうか。
もちろん、効率が悪くていいという話ではなく、仕事も家事も、やるべきことは山ほどあるからこそ、すべてを最適化しようとしないことが大事。
毎日を「空けない」ことより、「空けておける」ことのほうが、今の時代にはずっと強いように感じています。
予定表を埋めるのは簡単。
でも、予定のない15分を楽しめる人は、意外と少なく、これからの豊かさは、何かを増やすことではなく、あえて少し空けておくことの中にあるのかもしれませんよ。


